まるまる太った言いそこない

どうも、はじめまして。いきなりですが、この文章を書いているのは、当ブログ主の「えびす」ではありません。

 

僕は「スパム」と申します。

 

といっても、缶詰めされた肉塊でもなければ、迷惑なメッセージ群でもありません。しかし、ブログ上に唐突に差し挟まれるエントリという意味では、少し迷惑メールっぽくてそこそこ気に入りました(このペンネームの由来も考えてありますが、それはまた別の機会にでも)。

 

さて、普通の日記として公開された当ブログ4つ目のエントリで、いきなりわけのわからない始まり方をしていますが、つまるところ、ブログ上で「往復書簡」を始めてみよう、と思い立ったのです。

 

大仰に言いましたが、簡単に言うと「交換日記」ですね。

 

つらつらと書き連ねていく前に、当ブログの成り立ちについて、少しだけお話ししましょう。

 

僕は普段ものを書いたり、他人様の文章にあーだこーだ注文をつけるようなことをして日銭を稼いでいるのですが、そんなこともあってか、ある時、当ブログ主のえびすから「ブログをやりたいけど、やり方がよくわからないから教えてくれ」と請われ、はてなアカウントを取得してこのブログを立ち上げました。

(なお、ブログ開設に難しい作業は何一つとして存在しない)

 

そんなふうに多少なりとも手伝ったこともあって、たまにこのブログを覗いてたのです。

 

それでえびすのエントリを読んでいるうち、ふと「ひとつのブログを2人で自由に使ってみても面白いかもしれない」と思い立ったのです。

まぁ往復書簡はもとより、近年ではTwitterなどで恋人同士が使う“カップル垢”なんてのもあるわけで、使い古された手法ではありますが。

 

と、ここで誤解なきように言っておくと、僕はえびすが以前のエントリで触れた彼の恋人でもなんでもありません。

あ。忘れてたけど - E-baseの日記

 

端的に説明すると、出会い系アプリで知り合ったけどヤりもしなければ恋愛に発展することもなく、何故かダラダラとたまに連絡を取り合うようになった友人、ですかね。

 

必然的に、僕はデブ専細のゲイということになります。はい、どうも。改めまして、おはこんばんちは。

 

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 てなわけで、えびすの日記を読んだ上で、こちらも好き勝手書いていこうと思います。

彼はトモダチ? 【1】 - E-baseの日記

 

ご多分に漏れず、僕もゲイ向け出会いアプリはポチポチとやっていて、たまに人と会わないことがないわけではない(回りくどい言い方)。

 

しかし、前エントリでえびすも右往左往しているように、初対面の人の反応というのは、いざ直面して会話をしていても判断に困る部分が大きい。

 

沈黙が怖くて、立て板に水を流すようにペラペラと中身のないことを話していても、「こんなことを話してて、相手はつまらなくないかな?」「もう自分と会うのが嫌になってないかな?」なんて思うのはしょちゅうだ。

だから、話の合間に「つまらなくないですか?」とか「自分はこんな感じなんですよね、すいません」なんて、いらぬエクスキューズをついつい挟んでしまう。

相手から見たら相当卑屈に映ってるだろうな、なんて思いながら、どうにもこの癖は止められない。

 

 まぁ、一事が万事こんな感じなので、いくらアプリを介した出会いがあったところで、それ以降やり取りが長続きする人というのはあまりいない。

多分、自分は相手が想像していた存在とは違う何かだったのだろう……かといって、初めて出会った相手に上手く合わせるというのも難しい。

だって、相手がどういう人間を求めているかなんて、初対面でちょっと話しただけではわかりっこないからだ。

時間と親密性というのは、基本的には比例関係にあると言っていいだろう。

 

そんなわけで、アプリを介した一期一会の出会いはこれまでにいくつもあった。

多分お互いがちょっと違うなと思ってその後音信不通になった人もいるし、中には一度会ってそのまま肌を重ねたきりの人もいる。

 

そんなさまざま一期一会の出会いに共通するのは、トートロジーではあるが、再びまみえることがない、ということである。

出会い系アプリを介した対面は往々にして、日常的に接点がない人との邂逅であり、それこそがマッチングアプリが果たすべき機能だ。

ただ僕が使っているアプリでは、一定期間やり取りが更新されないメッセージはサーバー上から消去されるので、時間がたつと僕たちが一瞬でも出会ったという痕跡はきれいさっぱりなくなってしまう。だから、彼らと再会することは難しい。

 

そして、日々の雑務に忙殺され新しい出会いに躍起になっている日常にあっては、一度会ったきりの彼らのことを思い出すことなんてほとんどない。

 

それでも、ふとたまにいつか出会った彼らのことが頭をよぎるときがある。

 

それはその時待ち合わせた駅の改札口であったり、一緒に入った居酒屋だったり、街行く人のよく似た後ろ姿だったり、あるいはなんの脈絡もなく。

 

そんなとき、僕は今、彼らがそれぞれの人生を歩んでいるであろうことを思い、なんだかちょっとセンチメンタルな気持ちになる。

 

僕にとって、彼らの存在が道端に落ちているキレイな、あるいはちょっと変わった形をした石であったように、彼らにとっても僕はその程度の存在でしかないはずだ。

少し気になって蹴ってみたら、路傍の石は排水溝かどこかへ消えてしまった。

 

それはある人にとっては、磨けばダイヤモンドになる石だったのかもしれない。

今頃、彼らは誰かにとってのダイヤモンドになれているのだろうか?

 

モテない男はそんなことを考えながら、今日もアプリを開いては右へ左へと親指を払っている。

 

■当エントリタイトルについて

「往復書簡」は英語で「round-trip letter」。roundとtripにはそれぞれ「まるまる太った」「言いそこない」といった日本語訳があるとのこと。

まるまる太ったえびすが、日頃言えなかったことを書き溜めるこのブログにピッタリの言葉だな、と思いました。